戦争反対と言う事自体に理由は要らない。確かにそうだと思います。
ただし、その理由を持たない発言に説得力があるかどうかは別問題ですけど。
まぁ自分だって、その戦争に反対する理由を説明できない内の1人な訳で、
こんな偉そうな事を臆面もなく言える立場にはないんですが。
(これは嫌味とかじゃなくて) ハッキリとした論拠をもって戦争反対と言える人は、
シュプレヒコールを掲げて歩いている人の中にはどれくらいいるんだろう?

鑑みるにイラクで戦争が起こった事で自分の生活に何か変化はあったか。
アフガニスタンや旧ユーゴスラビアでの紛争ではどうだろう。
忌憚のないところ、自分は日常において特には何も変化を感じませんでした。
しかし、マルサスの「人口論」によると、このまま世界の人口が増え続ければ、
食料を奪い合う事を目的とするような戦争が必ず起こるって事だそうな。
その時に最も被害を蒙るのは食料自給率が著しく低い日本かもしれません。
そういう事態に陥っても戦争反対と言える強い意志が自分にはあるのだろうか。
大体、戦争が悪だなんて戯言は一体誰が言い始めたんだ?
善と悪の二分論ですんなりと物事が分割できるほどに世の中ってのは単純なのか?
要するに、それは自分にとって都合が良いか悪いかというだけなんじゃないの?

戦争がネガティブな面だけしか持っていないと考えている人、あなたは間違っています。
戦争が誘因となる事で科学技術、経済発展など多くの面において
人々が物質的に豊かな生活を確保してきたのは疑いようのない事実です。
我々が暮らす日本だって、例えば、日清・日露戦争を通して工業を発展させた事や、
朝鮮戦争による特需で経済が持ち直した事など、戦争による恩恵を多大に受けてきました。
そういった過去の戦争の恩恵に与っているにも関わらず、
その背景を無視して戦争反対と一言で結論付けるのは自分には到底出来ない事です。
あなたが戦争反対を表明する手段の1つとして使っているインターネットですら、
元々は1969年にアメリカが開発を始めた、戦争に備えるための技術なんだぜ。

残念ながらと言うべきか、見知らぬ他人が死んでいく事は悲しいからというだけで
戦争反対と言えるようなヒューマニズム、博愛主義的な考えは自分にはありません。
形而上的には、そりゃあ世界人類が平和でありますようになんて事も思いますけど
形而下での自分は仕事や日常生活で殆ど全てのアクティビティーを使い果たしています。
でも、そんな中にあっても戦争に反対する姿勢を放棄しない事は
自分にとって重要な事項であるような気がしているのも事実であります。
この自己矛盾を解決できるのは、一体いつの日になる事やら。

さて、今回も今回とて、まとまりという点では壊滅的な文章ですが
自分が書きたい事は書けた気がします(気がするだけかもしれません)。
戦争反対という結論だけを声高に叫ぶ人達に違和感を覚える。
でも、戦争を抑制するような意識を育てる事は求められて然るべきだ。
その際には、しっかりとした論拠を以ってするのが望ましい。
上の文章では要するに、そういう事が言いたかったんです。
そういった意味では自分は、まだスタートラインにさえ立っていません。
Suffering From A Caseのシノザワ君に彼の十八番であるという、
尾崎豊の「はじまりさえ歌えない」を歌ってもらいたい気分ですね。
もちろん、例の悲しい顔をしたままで。

Take it back, it's too late to say those words.