*初出:Local Communication Zine 2007年8月号

現在の自分が持つ最大の目標は、このまま楽しくダラダラと人生を過ごす事です。
何か、こう書いちゃうと非常に無目的で人生を諦めているような感じですが、
他人に頼らないまま自立した状態で楽しくダラダラと過ごすためには、
それなりにしんどい思いをしなきゃいけないってのも確かだと思います。
皆さんご存知のように、自らを取り巻く環境や周囲の人々と
上手に折り合いをつけながら生きるのは、なかなかどうして難しい。
さらに言えば、楽しく過ごすためには一定の収入はあった方が良いし、
その為には職に就かなきゃいけない。そして、その仕事が楽しく出来れば言う事なし。
楽しい仕事に就くためには、自分に合った職を精査、吟味しなければならないし、
その為には勉強だってしなければいけない。そして、その勉強が楽しく出来れば言う事なし。
これって要するに社会に順応するという事なのかなぁ、などと考えてみたら
何か色々と思うところが出てきたので書き留めておいたのが以下の文だと思って下さい。

自分は、社会なんてモノは存在しないと考えている人は間違っていると考えております。
少なくとも現在の日本において世の中に住まう人々の大部分は、
ゲオルク・ジンメルが提唱した社会実在論を無意識の内に信じているように思われますし、
大部分の人が信じているという事は共通認識が形成されているのと同義な訳でして、
それは即ち、社会が存在しているという主題は真である事を意味するのですから。
“信ずる者の中にこそ神は宿る”。…って言っても、この無宗教の国では説得力に欠けるけど。
もっと良い例はないかなぁ…ええっと、我々が日常的に使う紙幣というのは
それと引き換えに物が買えるという共通認識に基づいて、それぞれの国や社会で流通しています。
その共通認識がなければ、あんな物は只の紙切れとなるのです(うん、これは結構良い例でしょう)。
そんな訳で(どんな訳?)、我々は何らかの形で社会に関わっていかなければなりません。
それが嫌なら、南の島にでも行って隠遁生活を送るしかないのでありますが、
もちろん、南の島には南の島での社会や共同体があり、その中での共通認識があるでしょうし、
何処に逃れるにしても、行った先でのモラルやら不文律を守らなければならないでしょうけど。
それに(少なくとも自分には)、現在の便利な生活を捨てるなんて、到底出来やしないのであります。

ここで少し話が逸れます。
自分が運営しているサイトは“パンク”という言葉をタイトルに含んでいる訳ですが、
反社会的である事がパンクであるなら、そんなモノになりたくなんてありません。
これは、あくまでも自分の勝手な解釈ではありますが(大体、自分ごときがパンクを語ろうなんて…)、
自分自身の内面にある譲れない物を貫いて、それを表明していく事がパンクであると思うのです。
それも、出来る限りは他の人に迷惑をかけないのが望ましい。
…現実に自分がその事を実行出来ているかどうかは、かなり疑わしいですけど。

さて、話を戻しましょう。
現在の日本の社会に問題がないなんて事は言いませんし、とても言えません。
国と地方の自治体が抱える借金は合わせて1000兆円を超えますし、
年金は自分達の世代には満足に支給されるかどうか怪しいものだし、
社会保険や共済保険などに加入していない人達(老人や自営業者などが中心)が
お医者さんに実費から算出して3割の値段で診療してもらうために
各自治体によって運営されている国民健康保険の予算は、どの自治体でも破綻寸前の状態です。
しかし、だからと言って、それが税金や年金、国民健康保険料を払わないで良いって理由にはなりません。
我等が青春の象徴であるブルーハーツの歌詞(「ハンマー」という曲です)を借りて言えば、
“デタラメばかりだって耳をふさいでいたら、何にも聞こえなくなっちゃうよ”といったところか。

自分は、多少の瑕疵があるにしろ、現在の日本の社会的な制度は優れた物だと思っています。
一億総中流という言葉はバブル経済と一緒に弾けたなんて言うけれど、
日本ほど物質的な意味での平等という概念を為し得た国家は他に存在しないんじゃないでしょうか。
そして、90年代の後半から顕著となったネットの普及は、格差が広がっていると言われる中でも
情報というファクターに関して言えば、総平坦化の流れを多少なりとも引き戻す物であったと思います。
インターネットを通じて、誰でも知りたいと思った情報を手軽に調べる事が出来ますし、
欲しいと思った物は通信販売で(それなりの対価を払えば)、その大概を手に入れる事が出来ます。
多分、そんな現状に自分は満足してるんだろうなぁ。なんて素敵にジャパネスクって感じ。
第一、革新的な制度を作ったとしても、それが適切に機能する保障なんて何処にもないのですから。
マルクスやレーニンは資本主義を批判する事で多くの人に夢を抱かせました。
けれども、彼等が提唱した共産主義を採用した国家は押し並べて
その制度が持つ利点よりも、むしろ欠点の部分に苦しめられる事となったのです。

さて、もう一度言わせて下さい。社会(もしくは共同体)無くして人は生きられません。
どんなにアナキズムを叫んでも、結局はヒエラルキーの中でしか暮らせない。
無限の自由なんて物は存在しない。人は生きている限りに何らかの制約を受けるのです。
肝要なのは、その制約をきちんと認識して、可能な限りは受け入れながらも、
幸運にして与えられた有限の自由を自分なりに謳歌する事なんじゃないかなぁ。
だから(失礼を承知で言えば)、一般的にオジさんと呼ばれる年齢となった
Skimmerのメンバーが20年以上も前から絶え間なくパンクロックを鳴らし、
そして今でもすごく楽しそうに活動しているのを見ると本当に良いなぁと思うのです。
彼等はきっと、自分達にピッタリの楽しい事をしっかりと把握して、
それを自らの生活と折り合いをつけながら不断に続けていく手段を知っているんでしょう。
世の中は本当に美しいですよ、それを見る目を持っていれば(映画「聖メリーの鐘」より引用)。

Take it back, it's too late to say those words.