Left To Right : Maru(Dr), Tohata(Ba/Cho), Nakatsu(Vo/Gu)


数多あるファンジンの中でも屈指の内容を誇るTh3ee Days Awayに
寄稿させていただくという栄誉を賜った際の文でも書いた事ですが、
イギリスのバンドだからUKメロディックなんて枠を取っ払っちゃえば、
自分は今回に紹介するLast Last Oneこそが、 その言葉の体現者であると強く感じるのです。
唯一のレコードがリリースされた当時、Snuffy Smileのディストロで
“Last Last OneのEPありますか?”と栄森氏に尋ねて、 売り切れているとの返答を貰った際に
自分の隣にいた方(非常に尊敬している方なのです)が発した言葉を、
あれから何年かの歳月が経過した今でも鮮烈に覚えております。
“あー、Last Last Oneは物凄くカッコイイよ。あれこそがUKメロディックだ。”

そんな訳で、今回は、その論拠を思いつくままに並べ立てていきます。
まずは、歌詞とメロディーの調和が素晴らしい。
さらには、物哀しい歌詞に重なるジメッとした音の調和。
このバンドは聴き手が本当に必要な部分を提示する事に成功しています。
皆さんはHooton 3 Carのディスコグラフィー盤をお持ちですか?
あの音源って、量が膨大過ぎて疲れてしまう事はないですか?
Navelの冨永さんの邸宅でHooton 3 Carを7"のレコードで聴いた時に感じた、あの感覚。
今まで、こんなにHooton 3 Carをカッコイイと思った事はなかったです。
そんな過不足の解消をLast Last Oneでリリースした、
デモ、EPともに4曲という尺の中で彼等は成し得ている。
帯に短し、襷に長しという言葉の逆ですね。ジャストフィットと言うべきか。

さて、そして、このLast Last Oneというバンドを聴く際には、
まずは歌詞を熟読すべきだと思います。センシティブでナイーブ、
それでいて、過度なナルシシズムに耽る事の無い歌詞を書く事が出来て、
それを流麗なメロディーに乗せる事の出来るバンドでありました。
いや、根本的な部分ではナルシシズムの上に成り立っているのは
どうにも間違いの無い所ではあると思うんですが、
例えば、純真であるが故に現実を直視すれば不可避的に自虐へと陥る。
現実を直視すれば、自己同一性が希薄な自分を確認し、
その確認作業自体が自己同一性の確認のような気持ちになる。
しかし、それでも、その拙い自己同一性を愛している。
その塩梅が聴き手には、何故か非常に心地良い。

ただ、こういった内面的作業というのは自らの欠如感覚を埋める事は無く、
逆に深めるだけであると、最近、特にそのように感じるのです。
しかし、それでも、そのパラドキシカルな感覚を愛している。
ここでの内面的告白と自虐の描写は、太宰治の小説を思わせます。
その内容は、他人を楽しませる為に道化を演じつつ、
必死で他人へのサービスを提供した「人間失格」の主人公や、
「斜陽」の第七項、弟が姉に宛てた遺書の内容に近いと言えましょう。
…と、前身バンドのComboyの歌詞を読んでたら、
“僕は太宰になりたい”ってな、そのまんまのヴァースがありました。
充分に持てる者こそだからこそ、諧謔的に抱える苦悩という物がございます。
それは夏目漱石も森鴎外も表現する事が叶わなかったアイロニー。

本当に、本当にカッコイイという表現がピッタリなバンドです。


Take it back, it's too late to say those words.